『永遠の0(ゼロ)』読みました

先日「あじさい」の小山社長からプレゼントしてもらった『永遠のゼロ』を昨日、終戦の日に読み終わりました。
まことに出来すぎともいえるタイミング。前半、仕事の合間をぬって少しずつ読んできて、盆休みに入り、一気に熱中して読み終わった、という感じでした。
まあ、まあ、優れた書き手というのは、大したものです。しっかりと太平洋戦争の経過を描きながら、それを単に《戦記もの》として書くのではなく、現代の物語と《かみ合わせて》今の若者たちのストーリーにしてしまうのですから。もう、あちこちで涙、涙でした。そして、あっと驚くようなラストの「ヒアリング」=ものがたり部分。今まで張られていた伏線が一気に生きてきて、「なるほど」と唸らずにはいられないようなストーリーテラーぶりでした。
基本的な戦争観が《共有》できたこともうれしいことでした。兵士一人ひとりの切実な思いに敬意を払って、温かく描きつつも、帝国陸海軍のどうしようもない構造的な「欠陥」を鋭く指摘して、人間の生と命の「賛歌」をきちんと作品としてまとめていると、感じました。感動しました。作者に敬意を感じるとともに、「読め」と声をかけてくれた小山氏のセンスにも、敬意と共感を覚えます。
それにしても、カミカゼと、イスラム原理主義やパレスチナのテロリストを比較して、その共通性と差異性を論じることは、私自身のもともとの興味あるところでもあり、つらつら考えながら読んだのでした。筆者は、カミカゼの標的は《武器》《兵器》であるが、テロのそれは《無辜の民》である、というところで「まったく別物」と考えているようです。しかし、この点は少々「手前味噌」になっているだろうと思いました。現代社会のテロリストの一人ひとりに、カミカゼ特攻隊員と同様の「苦悩」があるはずだと考える方が、思想の普遍性を担保すると思います。イスラム教徒が心の襞を持たない単純な人々で、日本のカミカゼのみが国家や社会や家庭や個人の軋轢の中で苦悩していたとするのは、あまりにも「日本人特別」観が過ぎるでしょう。人間が自らの命を賭して、あることを決行するときには、それが何人であろうとも、当然膨大な迷いや逡巡や躊躇はあるはずです。その意識を持ち続けないと、テロリズム=絶対的悪→切捨て、のブッシュ/小泉流ドグマから脱出できないだろうと思いました。
アイリス日々記にはあまり「適」ではないかも・・・・。
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